「がおー!」が持つ文化的役割について

皆さんは「がおー!」と聞いて真っ先に何を思い浮かべるだろうか?

多くの読者はライオンやトラ、場合によってはサーベルタイガーやティラノサウルス・レックスを思い浮かべるのではなかろうか?
(サーバルを思い浮かべたアナタ、その声は我がフレンズ、李徴子ではないか?)

この様に、「がおー(gaou)」が大型肉食獣の鳴き声を表しているという事に疑問を抱く人は、筆者の様な、極少数の奇特な人間だけではないだろうか?

さて、筆者はこの一般論に疑問を抱いた一人なのであるが、そもそも何故「がおー(gaou)」なのであろうか?
実際に動画サイトなどでライオンやトラの鳴き声を聞いて見ると、確かに「がおー(gaou)」と聞こえなくもない。
しかしながら、同時にゾウやカバの鳴き声を聞いてみると然程大差は無いように思える。
一方で、ライオンやトラと同様に、ネコ科の動物であるイエネコの鳴き声が「がおー(gaou)」では無く「にゃーん(ni∂r:n)」なのは疑いようがない。
つまり、「がおー(gaou)」とは、”大型動物”が奏でる重低音の鳴き声なのであって、必ずしも”肉食獣”である必要は無いと考えられる。
すなわち、ジンベイザメが「がおー!」と鳴いても良いのである。

閑話休題

さて、「がおー(gaou)」とは実際には一部の大型動物の鳴き声なのであるが、何故、一般的に肉食獣の鳴き声として認識されているのか?

残念ながら、この問題を筆者に読み解くことは出来ない。

もしや、サーベルタイガーに顕著な、肉食獣にとって象徴的である”牙”、ライオンが百獣の王と呼ばれているように捕食者として生態ピラミッドの頂点に立つ”王”、合わせて「牙王」なのではないかと考え、検索エンジンに頼ってみるも、特撮ヒーローとTCGのモンスターしか出てこない有様である。

本記事は「がおー!」が持つ文化的役割を解説する記事であり、擬声語の由来を推理する記事ではないため、ここはタイトルに甘えて問題を棚上げさせて頂く。

さて、聡明な読者の方はすでに気付いているだろうが、冒頭に述べた「がおー(gaou)」とタイトルの「がおー!」では表記が異なっている。
これは、あくまで一擬声語としての役割を持つ「がおー(gaou)」と、本記事で解説する文化的役割を有する「がおー!」を意識的に使い分けたものであるが、本来、言語とはその表記により意味を大きく変える。

表記により、対象物のグレードが異なるという話を聞いたことがある読者は多いのではなかろうか?

例えば、「キッチン」と「台所」と「お勝手」や、「トイレ」と「化粧室」と「お手洗い」、「ホテル」と「旅館」と「宿(やど)」等はそれぞれが同じ物を指す言葉であるが、受け取る印象は大きく異なる。
一般的には、カタカナは欧風で最新鋭の印象を、漢字は古風な格式高い印象を、ひらがなは身近な優しい印象を与えるとされている。

表記による違いは、その他にも存在する。
そもそも、漢字とひらがなとカタカナを同列に並べているが、これらが持つ日本語的性質は大きく異なる。
漢字は中国から伝来してきた言語な訳であるが、日本人は中国語が解らずとも、その語句の意味が何となく分かる。
これは、日本における漢字とは、その字、一つ一つが意味を有しているためである。
一方で、ひらがなやカタカナが表すものはただの音声に過ぎず、本来その文字一つ一つは意味を有していない。

それでは、ひらがなとカタカナが同じものなのであろうか?

日本の歴史においてはこれら二つには立場や場面(公私や宗教)による明確な使い分けが存在したとの事だが、本筋から離れるため、ここでは歴史については語らない。この文章を読んでいる読者が纏めてくれると私も嬉しい。

さて、日本史の話は放棄したわけであるが、現代においてはこの二つに差はあるのだろうか?

実は現代においてはカタカナはその立ち位置を大きく変えている。
先程、カタカナが表現するのはただの音声にすぎないと説明したが、これは現代に於いては正しくない。
何故なら、現代においてカタカナにはひらがなとは明確に異なる役割が与えられているからである。

すなわち、外来語の存在である。

カタカナにのみ、外来語を表現する役割が与えられた事で、カタカナの学問的でスマートで小難しい印象は、現代においてさらに強化され、一方で、ひらがなのやわらかく、一種の幼稚さを与える印象も顕著となった。

グローバリズムによるコンチェフネスのシフトである。

これからのにほんしゃかいはかいがいにしやをひろげなければならないのである。

さて、「がおー!」の話に戻ろう。
つまり、これまでの議論から、「がおー!」と「ガオー!」と「牙王!」はそれぞれ表現しているものが異なるのである。
すなわち、「がおー!」は幼稚な、肉食獣の子供や、あるいはネコのかわいい”鳴き声”を表し、「ガオー!」学問的に小難しく、肉食獣の畏怖を抱くような”発声”を表す。そして、「牙王!」は明確に”特撮ヒーロー”を意味している。



と、話に一区切りがついた訳であるが、残念ながらここで話は終わらない。
読者諸君にはもう少しお付き合い頂く。

ここまで話して来たのは、謂わば「がおー!」の国語的な”意味”であって、文化的な”役割”では無い。
説明がだいぶ長くなり、読者諸君もお疲れであるだろうから、寄り道なしに話を進めさせて貰う。仮に読者諸君が疲れていなくとも筆者は疲れたので問答無用である。

結論から言えば、冒頭の問に対して、サーバルちゃん(あるいはこの記事を書く原因となったジンベイザメ海未ちゃん)を思い浮かべた方こそが正しいのである。

どういう事かわからない方は一度「がおー!」で画像検索して欲しい。











如何だろうか?

見事なまでに二次元キャラのイラストに塗れていたのではないか?

そう、「がおー!」とはかわいさを表す属性の一つなのである。
俗に言う萌要素である。

この結果に満足した人はその気持ちを抱いたまま、タブを閉じる事をオススメする。
なお、この記事はもう少し蛇足が続く。

さて、「がおー!」が文化的に萌要素を表すことを解説したわけであるが、面白いことに(必然とも考えられるが)これは日本に独自的な文化である。

多言語のライオンの鳴き声を幾つか並べておくので、同様に画像検索を行ってみて欲しい。

英語   ROAR!
仏語   rugit!
中語   吼!
韓語   어흥!

検索して頂ければ一目瞭然であるが、正常にライオンの検索結果として表示される。
中国語などは日本の特撮作品に汚染されていたり、韓国語などは日本語の「ガオー!」の検索結果に近い(ガオーさんという人物が居るため、検索して見る場合は「-ガオーさん」とすることを推奨する。)結果が得られていたりと興味深い結果が得られるのではないだろうか。
日本の「がおー!」文化が世界に広がっていくのはそう遠くない未来の出来事なのかもしれない。

長くなったが、最後のまとめに入ろう。
「がおー!」(あるいは「ガオー!」)が抱える萌要素は、本来捕食側にはなりえない小さなかわいい生き物が、背伸びをして自分を強く魅せようとしていることが、庇護欲を刺激し、さらなる可愛さを生み出していると筆者は考える。

そう、根源にあるのはやはり可愛さだ。

つまり、、、

「にゃーん」と同じである!

つまり、「にゃーん」と同様に、庇護欲を駆り立てられる、癒やしの存在へ、「がおー!」という言葉で、自らの身を投じることで、擬似的な癒やしを得ることが出来るはずなのである!

最後に、ここまで長い文章を読んでくれた読者と共に、この言葉を呟ければ嬉しく思う。
「がおー!」
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Twitterにおける「ねこー」と「にゃーん」について

皆さんは「Twitter」と言うツールをご存知だろうか?
おそらく、現代社会に生きる人々について、Twitterを見たことも聞いたこともないという人はほとんどいないだろう。
人によっては複数のアカウントを有していたり、いわゆる「ツイ廃」と呼ばれるような、日に何時間も「Twitter」を使用するような人も居るかもしれない。
Twitter、直訳すれば「さえずり」であるが、このTwitterは「Tweet(和訳は「さえずる」)」と称される、140文字以内の短文、俗に言う呟きを投稿し、それを共有するウェブ上の情報サービスである。
このTwitterの持つ特徴や、そのシステム、他のSNS(「ソーシャルネットワークサービス」の略)との違いについては、いくつものコラムがあるので、興味のある方は自分で調べてみて欲しい。それこそ、Twitter上の検索機能で調べてみるのも、また一興であろう。

今回のテーマは「Twitterにおける「ねこー」と「にゃーん」について」である。
このタイトルを見て、「くだらない」と一蹴する事は大いに結構である。かく言う私もくだらないと感じる。
しかしながら、今この文章を読んでいる読者は、このタイトルに興味を持ったのであろう。
仮に何の興味も抱かなかったにも関わらず、この文章を読み進めている方が居るのであれば、それは感に堪えない思いである。
それら好奇心溢れる読者の為に、「Twitterにおける「ねこー」と「にゃーん」について」、これから紐解いて行こうと思う。
くれぐれも好奇心に殺されない様に注意して読み進めて欲しい。

まず、表題の「ねこー」と「にゃーん」とは、一体なんなのであろうか?
普通に考えれば、前者の「ねこー」とは「猫(狭義にはネコ目(食肉目)- ネコ亜目- ネコ科- ネコ亜科- ネコ属- ヤマネコ種- イエネコ亜種に分類される小型哺乳類)」の事であろう。
実際にTwitterにおける「ねこー」には「ねこ」、「ネコ!」、「猫」など様々な形式がある(この文章では全ての形式を内包して「ねこー」と表現する)。
次に、「にゃーん」とは何か?これは猫の鳴き声である事に、疑問の余地はないであろう。

では、Twitterにおける「ねこー」と「にゃーん」は前述のような、一般的な意味合いを表現しているのであろうか?
これが、真実であればこの議論はこの時点で終了、筆者も読者も解散である。
しかし、残念ながら事はそう簡単には運ばない。
基本的には、Twitter上における「ねこー」と「にゃーん」は一般的な意味とは、全く違った意味合いを有している。

突然であるが、ここで先に筆者の考える結論を発表しよう。
Twitter上における「ねこー」と「にゃーん」の有する性質は、全く同質のものである。
この結論に満足した方はここで読むのをやめてしまっても良いだろう。
ここから先は、この結論を導くための、どこかで聞いた事があるような話が徒然と続く。

つまり、なにを伝えたいかというと、「にゃーん」

さて、ここからの話を書く上で、説明の容易である「にゃーん」について、情報を整理しよう。
「にゃーん」とは、先程も説明したように猫の鳴き声である。
つまり、猫がTwitter上で呟いているのか?
そうであったならば、非常に愉快なのであるが、おそらくこれは真実ではないであろう。
もちろん、この呟きは人が行っているのである。
ならば、何故、人は「にゃーん」と呟くのだろうか?
これは、小耳挟んだことのある読者も居るかもしれないが、「にゃーん」とは「社会性フィルター」としての役割を果たしているのである※@sh4869shさんのTweetより
すなわち、Twitterにおける「にゃーん」とは、疲れや苛立ち、怒り、憎悪と言った負の感情を、Twitterという多くの他人の目に触れさせる上で、より無害な形に変換した結果に生まれた用語なのである。

では、一方の「ねこー」とは一体何か?
「ねこー」については解析が非常に難しい。何故ならば、「ねこー」は「にゃーん」とは異なり、通常の文章中にも出現する用語であるためである。
それらを、踏まえた上での筆者の判断としては、Twitterにおける「ねこー」とは猫を表しているという物である。
この判断結果だけでは、当然説明不足であるため、補足をするが、Twitter上における「ねこー」とは、例えば、「あ、猫だ。かわいい!」や「このネコの写真かわいい。猫飼いたいから、公園で拾ってくる!」とか「ああー猫様に朝から踏まれて某は幸せであります!」などと言った、猫に関する癒やしの正の感情全てが「ねこー」という数文字に詰められているのである。
日本人は元来より、俳句や短歌、今年の漢字一文字等、少ない文字数に多くの情報や感情を込めることに精通しているから、この様に「ねこー」という数文字に多くの感情を含めることなど造作もない。
先ほどの冒頭の話題で、Twitterの特徴について興味を持って調べた方であれば、日本人とTwitterの相性の良さに関する記述を目にしたであろう。
すなわち、「匿名性」と「文字数あたりの情報量」である。

少々本筋から外れたが、筆者はここから「ねこー」と「にゃーん」は同質の物である事を導かねばならない。
一見、全く違う性質を有する判断を下したように見えるこの二つの用語だが、実はその効能は全く同質のものである。
「にゃーん」とは、負の感情に対する社会性フィルターであると説明したが、これは先ほどの「ねこー」が数文字の中で様々な感情を表している事と同一である。
何故ならば、「にゃーん」の中には、様々な負の感情が込められているからである。

この時点で、議論を終えてしまっていいだけの説明が行われているが、この文章はもう少し続く。
「ねこー」と「にゃーん」が持つ性質とは、多くの感情が込められている事には留まらないのである。
最後まで、お付き合いいただける精鋭達にはついてきて頂きたい。

「ねこー」と「にゃーん」のさらなる共通点を語る上では、猫という生物について、説明する必要がある。
猫とは非常に不思議な生き物だ。よく、猫と派閥として比較される犬のように、人間の生活に密着し、パートナーとして振る舞うことで共存をしてきた訳では無いにも関わらず、猫は人間と共存しているのである。
犬は、人間社会に生きる上で、ヒエラルキー(段階的組織構造、上下関係のこと)を重視すると言われている。
その一方で、猫にはそのようなヒエラルキーの意識は無いとされている。
これは、おそらく間違いである。
猫は、人間社会におけるヒエラルキーの頂点にいるのである。
人間社会におけるヒエラルキーとは、一体何によって決まるのか?
人間同士についてであれば、誰にでも理解がし易いであろう。
すなわちそれは、社会的な名誉であったり、経済力、友好な人間関係等によって位付けがなされる。
しかし、人間社会におけるヒエラルキーには、少し不思議なパラメータが存在する。
すなわち、それは、弱者であることである。
わかりやすいところでは子供や赤ん坊がこれに当たる。
子供や赤ん坊は、社会的に守られ、ヒエラルキーは相当高い位置にある。
その他にも、老人等もヒエラルキーとして比較的高い位置に居る(最も、こちらは生物的というよりかは社会的な意味合いが強い)。
これは、人間という種が多様性にを非常に重要視するためであると、聞いたことがある。
興味のある方は調べてみて欲しい。ついでに、その結果をこのような文章でまとめて頂けると私としても嬉しい。
猫のヒエラルキーの話に戻ろう。
猫は、人間社会で見れば紛れもない弱者である。
しかも、子供のような、将来的に強者となる可能性も無ければ、老人のように、若者の予想の外で活躍する可能性も殆どないと考えられる。
しかしながら、猫のヒエラルキーは非常に高い。
これは、人間が生物種としてのヒエラルキーを維持するために生み出した、庇護欲などの副産物を生涯に渡って刺激し続ける事に起因するのでは無いかと筆者は考える。
つまり、猫を可愛がり、献身的に奉仕することによって人は癒やしを得ているのだ。

さて、若干の範囲に収まらないくらいには風呂敷を広げているが、そろそろまとめに移ろう。
Twitterにおける「ねこー」と「にゃーん」の性質は同じであるという話である。
先程、何の説明もなく、「にゃーん」は社会性フィルターであると言う事を、引用から述べたが、何故、「にゃーん」が社会性フィルターになりえるのか?
それは、結局、猫がもたらす癒やしに起因するのである。
疲れた、辛いことがあった、嫌なことがあった、そういった負の感情を抱いた時、人間は無意識に誰かに守られたくなる。
すると、生物的ヒエラルキーの高かった自分、つまり子供の頃に戻りたいと人々は考えるのである。
最近では、ママ(母性の事、スナックのママではない)を求める文化も盛んであることからも、この主張は裏付けられる。
つまり、「にゃーん」とは、生物的ヒエラルキーの高い、猫になりたいという重いが乗じて、猫の鳴き声を発している、これが社会性フィルターとしての役割の本質である。

つまり、「ねこー」という庇護欲を駆り立てられる、癒やしの存在へ、「にゃーん」という言葉で、自らの身を投じることで、擬似的な癒やしを求める。
同じ、猫がもたらす癒やしの性質によって、これら二つの言葉は、日本で使用されているのである。

最後に、ここまで長い文章を読んでくれた読者と共に、この言葉を呟きたい。
「にゃーん」