毛むくじゃらおばけの話

『女性は感情的であり、男性は理屈的である。』

そのような主張が真しやかに囁かれ出してから久しい。

そもそも『感情』と『理屈』とは何か?

『感情』とは人に先天的に備わっており、『理屈』とは経験によって取得される後天的なものなのではないか?

冒頭の主張者の立場に立てば、これはノーである。
これでは人類は皆生まれつき女性であり、成長するに連れて男性になる事になってしまう。
少なくとも、人間は生まれつき女性ではないし、女性が男性になる例があったとしても、それは現代においては稀である。

では、『感情的な女性』と『理屈的な男性』はどのように生まれるのか?

過去に『理屈的』な説明を試みた例に沿えば、これらの差は所属するコミュニティによって分化が起こる。
すなわち、狩りや漁、勤務など、家の外に出て開いたコミュニティを形成する男性は『理屈的』となり、家事や子守など、家を中心とした閉じたコミュニティを形成する女性は『感情的』になる。

より噛み砕いた表現をすれば、『理屈』とは外敵に対処するための『体毛』であり、『感情』とは味方や同族と触れ合うための『体』であると言える。
考えるに、『理屈』と『感情』はどちらも人に先天的に備わるであり、『体』や『体毛』のように成長するのであろう。

妙なもので、このように考えると冒頭の主張、並びにその後の「人類は皆生まれつき女性である」という主張は案外、的を射た主張に思えてくる。

つまり、第二次性徴をむかえる前の人というのは、皆女性なのである。この事実は人類の歴史において少年愛が切り離せないものであることからも明らかである。

... ...

冗談はこの辺りにするとしても、第二次性徴前と言うのは外敵に晒される機会が少ないことは一般に判断できるであろうし、その期間が豊かな『感情』の形成に重要な期間であると言うことは、現代においては多くの人が受け入れられる事実であろう。

例えば、冒頭の主張、この主張に対して反感を持つ人は相当数居るかと思うが、以下の主張についてはどう考えるであろうか?

『子供は感情的であり、成人は理屈的である。』

違和感を覚える人間がゼロであるとまでは言わないが、些か受け入れやすい主張になったのではないか?

つまり、冒頭の主張というのは『女性は守られるものである』という一種前時代的な考えが具現化したものと考える。
これが現代社会において受け入れないものである事は、いわば当然の帰結であるし、先程の主張も『子供は守られるものである』との意識が無くなれば、また同様に受け入れがたいものとなるであろう。

そもそも、冒頭の様な主張は何故生まれたのであろうか?
この主張は、一方が他方を貶めるために使われるケースが散見されているように思う。
第一、『外敵に対する対処法』を持たない生物、『同族と触れ合う術』を持たない生物のどちらも、生態系において死滅するのは自明の理であり、人間はそれらを『理屈』と『感情』と言う形式で兼ね備えた生物である。

しかしながら悲しいかな、現代社会においては『感情』がその生物的役割を見失い『外敵に対する対処法』として用いられ、しかも、本来外敵にこそ向けられるべき『理屈』(あるいは現代において変異した『感情』)を同族に対して振るうケースが増えている気がする。
冒頭のような主張が生まれたのも、その流れを汲むものであろう。

もし、貴方が『感情』や『理屈』で以て、同族を攻撃しようとしている、或いはすでに攻撃してしまっているのであれば、今一度自分の姿を鏡で見て欲しい。

そこには全身が体毛にまみれた毛むくじゃらの異形が映ってはいないだろうか?
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